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5 勝沼城跡歴史環境保全地域

ページ番号:467-161-624

更新日:2018年2月9日

指定データ

指定年月日昭和50年12月26日指定、平成17年8月15日区域変更
位置青梅市の北東部、加治丘陵の南端に位置し、師岡町一丁目、
東青梅六丁目及び吹上地区にまたがる区域
面積120,506平方メートル

自然の概要

05kat_ph.jpg (26769 バイト)

加治丘陵の南端に位置し、霞川の沖積地を見下ろして、比高35mの小高い丘陵をなし、周辺が市街地化する中で、歴史的遺産と一体となった自然地を形成している。植生はスギ、ヒノキの植林とコナラ、クリの雑木林とが相半ばして分布し、一部にアカマツ林、モウソウチク林、ススキ草原があり、区域北部の谷頭のヨシ、スゲ湿地にはハンノキ林が育っている。


保全の方針

勝沼城跡の遺構はそのまま保全する。植林地は、スギ、ヒノキ等の大木を育成してうっそうとした林に導き、明るい雑木林と湿地は現状のまま保全して、歴史的遺産と一体となった多様な自然空間とする。

勝沼城跡の歴史

この区域の南半分は都史跡の勝沼城跡である。勝沼城は鎌倉末期(1300年頃)にこの地の豪族、三田長綱によって築造され、以後永禄4年(1561年)に三田綱秀が二俣尾に辛垣城を築いて移るまで、二百数十年間三田氏の居城とされてきたが、永禄6年の三田氏の滅亡後、滝山城(八王子)の支城となり、北条氏の臣、師岡山城守将景が入城し、城と土地の名を師岡と変えたため、師岡城の別名もある。師岡城は天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めの際落城し、その後家康が武蔵国を支配するに及んで廃城とされた。今も残る土塁、空壕、郭などの遺構は、中世戦国期の平山城の面影をよく伝えている。

指定時の植生

番号植生名現況
9ハンノキ-オニスゲ群落水田放棄地。樹高3mのハンノキが多く、草本層にオニスゲ、チゴザサ等が優占している。
11ヨシ-スゲ湿地古い水田放棄地。上層にヨシ、下層にカサスゲ、アゼスゲが優占している。
19コナラ-クヌギ群集

下刈り等の管理が行われている林分と、行われていない林分とに別れる。
行われている林分では、林内は明るく、コナラが優占する亜高木がほとんどを占める。
低木ではリョウブ、ヤマウルシ、ネジキなどが見られ、草本類ではアズマネザサが優占するほか、チゴユリ、コウヤボウキ、ノダフジ、チヂミザサ、ツクバネウツギ、ヤブコウジ等が見られる。行われていない林分では高木層が発達し、そこではコナラが優占するほか、イヌシデ、クヌギ等が見られる。
亜高木はアオハダ、エゴノキ、ヤマウルシ、低木はヤマツツジ、バイカツツジ、ヤマウルシ、モミ、リョウブが多い。草本はコアジサイが優占する林床と、アズマネザサが優占する林床があり、そこには多くの草本が見られる。

25アカマツ植林管理が行われていないため、林層は不明瞭である。
高木層をアカマツが占めているほか、林層の組成はコナラ-クヌギ群集の管理の行われていない林分に類似している。
26スギ・ヒノキ林

この地域の約50%を占めている。樹齢はかなりの幅があり、最近植林されたものから、100年生以上のものまで分布している。
育林作業の行われていない植林地は亜高木層にはヤマウルシ、ミズキ等が多く、低木層はヒサカキが優占し、アラカシ、トネリコ、アオダモが多い。
草本類は、シシガシラ、アセビ、ヤブコウジ、ツルアリドオシ、コアジサイ、ジャノヒゲ、ヒサカキ、ベニシダ、イヌツゲ等多様である。
育林作業の行われている植林地の林床草本はミゾシダが優占し、その他ドクダミ、コアジサイ、ゼンマイ、シケシダ等が多い。

28モウソウチク林モウソウチクからなる竹林で、林床はノダフジ、ジャノヒゲ、ホウチャクソウ、キチジョウソウ等多様である。
30ススキ-アズマネザサ群集ススキが優占し、その下層にアズマネザサが繁茂している。
31ススキ草原ヨシ-スゲ湿地の頭部にあり、埋め立てられたところ。ススキが優占し、一部湿地が残されたところではヨシが多い。
32人工シバ草地ゴルフ場の芝地。
45耕作水田雑草群落ハンノキ-オニスゲ群落の隣接部の耕作水田。
62伐採跡地雑草群落コナラ林の伐採跡地で、多種の低木、草本によって覆われている。
66樹群を持った墓地等平成17年に一部指定解除。
70裸地最近造成されたゴルフ場の一部。

その他

勝沼城跡みどりの会が保全活動を行っています。
活動内容:草刈、観察会など


お問い合わせ

このページの担当は自然環境部 緑環境課です。


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