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奥多摩の歴史

縄文時代の遺跡など古来から多くの民俗芸能が伝承される歴史の町

奥多摩地区には、縄文時代の遺跡が多く存在しますが、本格的に人々が住み始めたのは奈良時代中期からといわれています。鎌倉時代に入ると、小豪族が一族一党を率いて、山を越えて谷を渡り、奥多摩の小平地にも来住するようになりました。そして、以前から住んでいた人々と融和して、次第に村を形成しました。明治22年に公布された市制町村制によって、奥多摩地区に古里村、氷川村(後の氷川町)、小河内村が発足されます。昭和28年には、町村合併推進法によって古里村、氷川村、小河内村が合併して、現在の奥多摩町が誕生しました。歴史の一部は、「奥多摩 水と緑のふれあい館」で見ることができます。

遺跡から出土した土器

鹿島踊り

鹿島踊りは、奥多摩町の代表的な民俗芸能で、昭和55年には国定重要無形民俗文化財に選ばれています。小河内の鹿島踊りは、若衆が女装して踊るもので、小河内独特のものとされています。鹿島踊りは、女装した男性6人、囃子方(はやしかた)の笛2人、そして太鼓2人の組み合わせで行います。女装した男性6人は、踊り子となって裾模様の振袖を着て、瓔珞(ようらく)の冠をいただいて優雅に踊ります。その他、小河内の民俗芸能として獅子舞(原、坂本、川野、峰の4地区)などもあります。

鹿島踊り

川野 車人形

川野地区に伝わる民俗芸能「車人形」は、人形芝居から発展したもので、今から約150年前から受け継がれています。黒衣を着た人形使いが、三輪舟形のロクロ車に腰をかけて自由に動き回り、浄瑠璃の語りに合わせて手足の指を巧みに使い、人形を操ります。車人形は、江戸時代末期から明治20年代までは各地で行われていましたが、現在では限られた地域でしか見られなくなりました。昭和27年に都の無形民俗文化財に指定されています。

川野 車人形

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このページの担当は自然環境部 緑環境課 自然公園計画担当です。

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